2013年05月16日
鶯宿梅その②
鶯宿梅のアクセス数が伸びてますね。
定期試験用でしょうか?
そんなに、細かい文法解説が必要な話ではないので、
解説してませんが、必要な方はご連絡下さいね。
古文ブログの方で、別の特集で触れようと思って、
「置いて」おいたネタが、鶯宿梅には、まだ隠されています。
アクセス数伸びてて、申し訳ないので、ここで少し、書きます。
(高校がここまで教えるか?
あるいは、教師が知っているかは、↓の話が進むにつれ、不明です。
高校の定期試験程度なら、まあ、まず必要ない話だろうと思います)
鶯宿梅に出てくる、
「無礼をやんわり嗜めた、紀貫之の娘」ですが、
この人を、紀内侍(きのないし)とも言います。
内侍(ないし)というのは、
古文では、なにやら、年中出てくる単語ですが。
この「内侍(ないし)」って、一体、何!?というお話です。
帝のお妃さん達は、
「女御・更衣あまたさぶらい給ひける中に」ではありませんが、
皇后-中宮-女御(多数)-更衣(多数)ですよね。
帝のお妃さん達に、
お仕えしているお世話役(家庭教師?ふふ)は、
女房(にょうぼう)ですよね。
清少納言、紫式部、和泉式部、お馴染みの方々です。
では、内侍という、謎の女性群は、何?
この人たちは、
内侍所(ないしどころ)という宮中のお役所で仕事をしている女性たちで、
後宮における事務全般を仕切る役職のようなものと言えば良いでしょうか。
また、内侍所(ないしどころ)の仕事の一つに、
帝の身の回りの世話をしたり、取次ぎをしたりするということがありました。
内侍所は、お役所なので、
官職が、長官-次官-3番手-4番手 と、あるわけです。
長官を、尚侍(ないしのかみ)、
次官を典侍(ないしのすけ)、
3番手を掌侍(ないしのじょう)と言い、
単に内侍(ないし)とも呼びました。
日本史選択の人は、ここで気付いて下さい!
律令制下の、四等官制(かみ、すけ、じょう、さかん)に極めて類似していますが、
さかんを欠き、また律令制に明記された役所でもありません。
元々は、「事務屋さん」ですが、平安時代も下るにつれ、次第に、
尚侍(ないしのかみ)は、帝の后妃と同等の意味も持つようになり、
典侍(ないしのすけ)は、乳母に対する待遇としての意味合いも持つようになってきました。
例えば、尚侍(ないしのかみ)。
源氏で、朧月夜の君が、源氏との密通がバレた後に
「貴方とのことは皆、知っているから、女御としてではなく、
尚侍として後宮に入る」と言い、入内しました。
これなんぞ、ウルトラC級の裏技です。
右大臣も、よくぞまあ、考え付いたもんだと思います。
つまり「あからさまに、女御=お妃」として入内させるわけにはいかないけれど
(源氏との関係が公になりすぎてる)
「尚侍(ないしのかみ)として後宮に入る」
<あくまで女官であり、この人は仕事をしている
<あとは「帝と二人のご自由に」
というのは、表向きは口実が立つわけでもあり、
またこの当時、既に「尚侍がお妃待遇になりうる」時代であったということも示唆しています。
一方、典侍(ないしのすけ)に関しては、「讃岐典侍日記」が有名ですね。
この人なんかは、「内侍所の次官で讃岐と呼ばれた」ということが
「讃岐典侍」という呼称からだけでもわかり、
また内容からは「内侍所の次官の典侍(ないしのすけ)も、
既に準后妃扱いされることもある」時代だったということもわかります。
内侍所は、明治に後宮から切り離され、
いわば、宮中祭祀専門職として、編成され直しました。
それが、内掌典(ないしょうてん)です。
内掌典(ないしょうてん)は、特有の御所言葉と生活形態を今に伝えており、
その生活の一旦は、
数年前に「宮中賢所物語(きゅうちゅうかしこどころものがたり)」という本で、明らかにされました。
なお、「宮中賢所物語」は、現在絶版です。
アマゾンか、近所の図書館へどうぞ。
ちなみに、三鷹市では駅前図書館に1冊入っています。
定期試験用でしょうか?
そんなに、細かい文法解説が必要な話ではないので、
解説してませんが、必要な方はご連絡下さいね。
古文ブログの方で、別の特集で触れようと思って、
「置いて」おいたネタが、鶯宿梅には、まだ隠されています。
アクセス数伸びてて、申し訳ないので、ここで少し、書きます。
(高校がここまで教えるか?
あるいは、教師が知っているかは、↓の話が進むにつれ、不明です。
高校の定期試験程度なら、まあ、まず必要ない話だろうと思います)
鶯宿梅に出てくる、
「無礼をやんわり嗜めた、紀貫之の娘」ですが、
この人を、紀内侍(きのないし)とも言います。
内侍(ないし)というのは、
古文では、なにやら、年中出てくる単語ですが。
この「内侍(ないし)」って、一体、何!?というお話です。
帝のお妃さん達は、
「女御・更衣あまたさぶらい給ひける中に」ではありませんが、
皇后-中宮-女御(多数)-更衣(多数)ですよね。
帝のお妃さん達に、
お仕えしているお世話役(家庭教師?ふふ)は、
女房(にょうぼう)ですよね。
清少納言、紫式部、和泉式部、お馴染みの方々です。
では、内侍という、謎の女性群は、何?
この人たちは、
内侍所(ないしどころ)という宮中のお役所で仕事をしている女性たちで、
後宮における事務全般を仕切る役職のようなものと言えば良いでしょうか。
また、内侍所(ないしどころ)の仕事の一つに、
帝の身の回りの世話をしたり、取次ぎをしたりするということがありました。
内侍所は、お役所なので、
官職が、長官-次官-3番手-4番手 と、あるわけです。
長官を、尚侍(ないしのかみ)、
次官を典侍(ないしのすけ)、
3番手を掌侍(ないしのじょう)と言い、
単に内侍(ないし)とも呼びました。
日本史選択の人は、ここで気付いて下さい!
律令制下の、四等官制(かみ、すけ、じょう、さかん)に極めて類似していますが、
さかんを欠き、また律令制に明記された役所でもありません。
元々は、「事務屋さん」ですが、平安時代も下るにつれ、次第に、
尚侍(ないしのかみ)は、帝の后妃と同等の意味も持つようになり、
典侍(ないしのすけ)は、乳母に対する待遇としての意味合いも持つようになってきました。
例えば、尚侍(ないしのかみ)。
源氏で、朧月夜の君が、源氏との密通がバレた後に
「貴方とのことは皆、知っているから、女御としてではなく、
尚侍として後宮に入る」と言い、入内しました。
これなんぞ、ウルトラC級の裏技です。
右大臣も、よくぞまあ、考え付いたもんだと思います。
つまり「あからさまに、女御=お妃」として入内させるわけにはいかないけれど
(源氏との関係が公になりすぎてる)
「尚侍(ないしのかみ)として後宮に入る」
<あくまで女官であり、この人は仕事をしている
<あとは「帝と二人のご自由に」
というのは、表向きは口実が立つわけでもあり、
またこの当時、既に「尚侍がお妃待遇になりうる」時代であったということも示唆しています。
一方、典侍(ないしのすけ)に関しては、「讃岐典侍日記」が有名ですね。
この人なんかは、「内侍所の次官で讃岐と呼ばれた」ということが
「讃岐典侍」という呼称からだけでもわかり、
また内容からは「内侍所の次官の典侍(ないしのすけ)も、
既に準后妃扱いされることもある」時代だったということもわかります。
内侍所は、明治に後宮から切り離され、
いわば、宮中祭祀専門職として、編成され直しました。
それが、内掌典(ないしょうてん)です。
内掌典(ないしょうてん)は、特有の御所言葉と生活形態を今に伝えており、
その生活の一旦は、
数年前に「宮中賢所物語(きゅうちゅうかしこどころものがたり)」という本で、明らかにされました。
なお、「宮中賢所物語」は、現在絶版です。
アマゾンか、近所の図書館へどうぞ。
ちなみに、三鷹市では駅前図書館に1冊入っています。
Posted by あや乃 at 23:41│Comments(0)
│梅